ブログ - 忠義桜と児島高徳

忠義桜と児島高徳

カテゴリ : 
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執筆 : 
山陽座禅会 2018/9/18 10:09

忠義桜と児島高德


津山院庄にある作楽神社境内に児島高德の雄姿


 


※児島高徳・・・鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍したとされる武将。備前国児島郡林村出身[3]。従五位下・備後守を賜る。『太平記』中では和田、今木といった苗字で表記される場合もあり、「児島」を「小島」と書き換える表記も散見される。 


元弘元年(1331)の元弘の乱以降、後醍醐天皇に対して忠勤を励み、南北朝分裂後も一貫して南朝側に仕えた。晩年は出家し、志純義晴と号したという。正式な法名は志純義晴大徳位。 江戸時代以降、南朝忠臣として讃えられ、国民的英雄のひとりとなった。その一方で具体的な活動を示す文献が軍記物語の『太平記』以外にはないために、近代的考証史学の観点から実在性を否定している学説も根強い。また、同書の編者である小島法師1374没)と同一人物とする説や、地元の勢力がある山伏出身、あるいは悪党出身と見る説もある。(ウィキペディアより)


 



※忠義桜・・・この唄の歌詞にある桜の舞台となった桜の木を「忠義桜」と呼び、岡山県津山市院庄の作楽(サクラ)神社にあると言われているそうだ。主人公、児島高徳(こじまたかのり)が桜の木の幹を刀で削り,十文字の漢詩を掘り,囚(とら)われの身の後醍醐天皇を慰めた桜と言われ。とらわれた後醍醐天皇に、児島高徳は中国の故事にある「越王を助けた范蠡(はんれい)」の話を漢詩にして桜の木に彫ったそうだ。そして范蠡(はんれい)」のような忠臣がここにもいます……と天皇を慰めた。この桜を「忠義桜」と呼んで、石碑のような唄になったとのこと。



次回はここ津山で参禅会を行います。


坐禅がてらお越しいただき、この児島高徳と忠義桜の石碑に是非、足を運んでみてください。


                ぎちん 記


 

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