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天国と地獄?

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山陽座禅会 2015/8/8 16:13
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猛暑・酷暑

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山陽座禅会 2015/8/5 8:11
下界は当に灼熱の世界。
岡山道場は海抜70メートルの所に位置しています。
樹木の間から涼風が吹き抜けてきます。エアコンの要らない世界です。ぜひ足を運んで来てください。
田中 記
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空海さんも三昧だ!!

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山陽座禅会 2015/7/13 15:51
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寒暑到来!!

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山陽座禅会 2015/7/9 12:47
寒 暑 到 来                     石田妙耕 記
 
僧、洞山(和尚)に問う「寒暑到来の時如何が回避せん?」 
洞山曰く「何ぞ、無寒暑の処に向かって去らざる?」
僧曰く「如何なるか是れ無寒暑の処?」
洞山曰く「寒きときは闍梨(ジャリ)を寒殺し熱きときは闍梨を熱殺せよ」
                   ※闍梨は「阿闍梨で僧の尊称」
                   ※寒暑は「苦を表す」
寒三昧、熱三昧(無念、無想ではない)の云い。
「安禅は必ずしも山水を須(モチ)いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」
これは、甲斐の国、恵林寺(武田家の菩提寺)の快川国師の偈(ゲ)で「火定三昧」の云い。
《武田軍が織田軍に敗けた時》
このような、三昧の力を養い得るか?!座禅と作務で道力を養い、参禅をして道眼を培って禅となる。
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仏の煩悩!

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山陽座禅会 2015/7/4 9:43
                           H,27,7,1
仏の煩悩
                        井本光蓮
 ある人が趙州(和尚)に 問いました。「仏にも煩悩がありますか?」
趙州 「仏にも煩悩がある」。
問う人「仏の煩悩とはどんなものでしょうか?」
趙州 「[衆生無辺誓願度]、これが仏の煩悩だと。
本当にこんな話があったのだろうか?そう思って『趙州録』を調べたら、
こんな問答が見つかりました。
 趙州 「儂は、一本の草を 一丈六尺の黄金の仏として用い、
一丈六尺の黄金の仏を 一本の草として用いる。仏がそのまま、煩悩で、
煩悩がそのまま仏なのだ」。
 問う人「仏は誰のために煩悩するのですか?」。
 趙州 「一切の人のために煩悩する」。
 問う人「どうして免れることが出来ますか」。
 趙州 「免れてどうするのだ」。
一切衆生のために煩悩するのが仏の慈悲なのに、その煩悩から
免れてどうするのだ と言われる。これは凄いことです。
 仏にも煩悩がある。煩悩のあるのが悪いのではない。煩悩に引きずられて
  • 己(オノレ)が悪いのです。俺が俺がといっているそやつ(自我)を
たたき殺してしまえば、そこに主心(本当の自己)が誕生して、煩悩を
自在に手足のように使えるようになる。
 大乗仏教徒の『四弘誓願』の二番目に、[煩悩無尽誓願断]とありますが、
  • 断(・)」の本当の意味は、この虚妄の自我を断つということだと思います。
「煩悩即菩薩」と申します。これは、とても深くて到り難い境涯ではありますが、
仏の煩悩とは この境地を指すのでありましょう。  合掌
  •  
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保育士の卵さんたちが、懇親会で手をつないで合唱しました。

それぞれ皆、これから就職されても、子供同士の喧嘩、病気のトラブル、保護者の方への対応など、様々な試練が待っているのかもしれません。

「ある日 森の中 クマさんと 出会った 」

「しんどかった。」と、早朝からの座禅を振り返る一方で、「座禅を身近なものに感じた。」との感想も聞かれました。

心眼 記
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洋館付和風住宅

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山陽座禅会 2015/6/26 15:42
 『呉坐禅道場』 が在る呉市両城2丁目は、斜面の階段に、雛壇状に住宅が立ち並んでいる町である。

 明治の富国強兵策で、それまで農漁業で生計を立てていた呉一帯は、一躍軍港と軍需生産の中心地と成っていった。

 明治19年、呉に鎮守府が置かれ、やがて造船部・砲兵部が建設され、それらは明治36年には呉海軍工廠となり、呉はまさに水兵と職工の町と成った。

 以来、軍港として栄え、戦艦「大和」も呉で建造された。JR呉駅近くの大和ミュージアムには、年間90万人もの観光客が訪れている。

 人口も明治38年には7万6千人だったのが、大正9年には15万人に倍増した。そして第2次大戦中には、旧呉市街地の人口は40万人を越えた。

 平地は軍の施設に充てられたので、新たに移住してきた軍関係者や工廠の職工等の住む住宅は、周囲の傾斜地に建てられた。中でも両城地区には、海軍上部関係者が住む、当時流行したモダンな和洋折衷の『洋館付和風住宅家』が建てられた。

 この両城2丁目の斜面に、高い石垣を積み上げて雛壇状に組上げられた宅地は、まるで城壁を思わせる。

 これには当時、隣町の吉浦に、海軍関係の石工職人が多くいたことが関係しているのだそうである。かつては、呉の海軍諸施設、黒瀬の二級峡ダム、広島の宇品港などにも、この両城の花崗岩が切出されて使われたのだそうである。つまり石切り場の岩盤の跡地利用なのである。そして高い石組み技術を持った職人集団が居たからなのである。

 『呉坐禅道場』も、昭和の5年頃に、ここ両城2丁目に建てられた、そんな 『洋館付和風住宅家』 の古民家の一つである。したがって建物は約85年が経過しているが、敷地も建物も、かなりしっかりした作りで、階段を家一軒分60段ほど上がった、日当たりの良い、とても静で快適な環境である。『坐禅道場』としてはコンパクトなものの、地方道場としては必要充分であり、呉駅にも近く、とてもありがたいスペースである。

 玄関の横に洋館が接続しており、和室の奥へと廊下が続いている。洋館の屋上はバルコニーに成っていて、2階から出られる構造である。奥に倉が接続しているのは、夏と冬で部屋の設えを総入れ替えするための収納スペースなのだそうだ。今、洋館は、琉球畳を敷詰めて、禅子寮(女子専用室)として利用している。

 両城の200階段・100階段などと名付けられている階段は、映画『海猿』の訓練のロケ地で有名に成って、今では呉の観光名所の一つである。

 光禅 記

徳山和尚の三十棒

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山陽座禅会 2015/6/4 19:13
「無事」と「無心」      井本光蓮
 古来、禅門で臨済の喝と並び称せられる棒使いの名人に、
徳山という人がいます。この人は、棒を振り上げて「言い得るも三十棒、
言い得ざるも三十棒、速やかに言え!速やかに言え!」と言って、
修行者が何を言っても何とも云わなくても三十棒をくらわしたと
いいます。『無門関』という本の中に、この人が最初に悟りを開く場面が
面白くかかれていますので、まだの方は是非お読みください。
(吹滅紙燭の項)
 今日の話は、『五燈会元』という本の中に出てくるこの徳山和尚の
ことばです。それは「無事於心、無心於事」という言葉で「心に於いて
無事に、事に於いてむしんなれ」と読んでおけばよいとおもいます。
その意味は「心の中は無事であるのがよく、事に当たっては無心であるのが良い」
と云うことです。棒使いの名人らしくもないおっとりとした言葉ですが、晩年の
円熟した境地ではないでしょうか。
「心に於いて無事なれ。ことに於いて無心なれ。」私のとても好きな言葉です。
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『この世界の片隅に』

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山陽座禅会 2015/6/2 20:43
 『この世界の片隅に』は、第二次大戦中に広島や呉で過ごした主人公、“すず”の生活を描いた長編アニメである。

 物語りとしては、至って普通の家族愛が描かれている。

 第二次世界大戦中、広島の江波(漁師町)に生まれ育ち、絵を描くことが好きだった少女、“浦野 すず”は、軍港の呉で、海軍に勤務する“北條 周作”に嫁ぐ。

 戦時中とはいえ、当初は比較的普通の夫婦生活を送り始める。

 戦争中の庶民の日常生活がリアルに描かれており、気楽でもなく、かといって極端に悲惨でもなく、現代においても、どこにでもある様な家族愛に包まれた日々を過ごしながら、ストーリーが展開していく。

 漫画家“こうの 史代”の代表作である。

 これを『マイマイ新子と千年の魔法』や『BLACK LAGOON』などで知られる“片渕 須直”が監督・脚本し、『坂道のアポロン』『残響のテロル』などを手掛けた“MAPPA”がアニメーションを制作する。

 そしてこの劇場版長編アニメ『この世界の片隅に』の制作実現を目指した、クラウドファンディングが、2015年3月9日から実施されて、先月末の5月29日に終了した。

 2016年公開を目指して、企画実現のためクラウドファンディングを実施したのだ。

 これはスタートから大きな注目を集めたプロジェクトであったが、終了直前に支援者がさらに増え、最終的には当初目標としていた2千万円を大きく上回り、3千6百22万4千円の資金を集めた。

 この資金調達額は、これまで国内で実施されたクラウドファンディングとしは、過去最高額となった。

 集まった資金は、作品の制作スタッフの確保や、パイロットフィルム制作に活用されるのだそうだ。

 予想を上回る金額は、プロジェクト前進の大きな力にもなった。

 そして『この世界の片隅に』のプロジェクトで注目されるのは、支援者の熱度の高さである。

 クラウドファンディングでは、献金の御礼として、サポーターに何らかのリワードを渡すのが恒例である。

 例えば、映画のBlu-rayやDVDなどのグッズ類が多いのであるが、『この世界の片隅に』では、主人公からの手紙、支援メンバー証など、とてもシンプルでささやかなものである。

 もっとも、ファンミーティングへの参加権や、本編エンドロールへのクレジットなど、品物ではなく権利としてのリワードもあるのだが、支援金額の大きさからすると、これらのリワードは決して比例はしていない。

 つまり『この世界の片隅に』のサポーターは、「映画制作実現の支援をする」という気持ちと願いが、それだけ大きいのだといえるのである。

 そうした気持ちを持つ支援者が、3,374人もいたというのである。

 これは日本のクラウドファンディングでは、とてもレアケースであり、エポックメイキングな出来事でもある。

 ともあれ、“呉・広島を舞台とした物語り”が、今や日本を代表する世界的なカルチャーとなったアニメーション映画として注目を集めているのは、何となく誇らしく、まるで自分達の事の様に嬉しくもある。

 光禅 記

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浴衣の着はじめ

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山陽座禅会 2015/5/31 20:04
 そろそろ6月、梅雨入りが気になるところですが、梅雨入りと同じ時期にあるのが広島三大祭りのひとつ「稲荷(とうか)さん」ですね。

 今年は6月5日(金)~7日(日)です。

 とうかさんは、別名「浴衣の着はじめ祭り」ともいわれています。

 ゆかたを着る風習も、梅雨が来てジメジメと鬱陶しくなるから、という理由もあるそうです。

 ゆかたって風流でいいですよね。カープ女子たちも、この日には、浴衣姿で「とうかさん」へと、街に繰り出すわけです。そして広島の夜の街も一段と華やぎを増します。

 光禅 記


 
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学生に座禅を

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山陽座禅会 2015/5/27 8:19
今日はゼミの時間にて、6月25日から始まる参禅会スケジュールを見せて、参加日程を再確認。
本日のゼミテーマは「心身を癒す場所-禅道場-」
ゼミ生(11名)全員が道場の五右衛門風呂を焚き・風呂に入り人間禅メンバーと座禅をして、話を聞き、寝食をともにして、心身の癒しを体感させないと・・・・・
田中 記
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↑岡山国際交流センター和室の小庭(少しブレ気味)


↑和室から望む夕空と岡山の街

岡山禅会では毎月第4金曜日、岡山国際交流センター5階和室にて坐禅会「禅を暮らしに活かそう会」を催しています。
アットホームな雰囲気でどなたでも気軽に参加できる会です。初心者の方には丁寧にご指導もいたします。場所も岡山駅西口から徒歩5分の非常に便利のいい所にあります。
参加費は1回200円。ご関心ある方は仕事帰りにぶらっと喫茶店に立ち寄り、コーヒー飲んでほっとするような感じでお気軽にお立ち寄り下さい。                  大船
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禅者はさまざまな顔

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山陽座禅会 2015/5/18 20:11
道場で草刈り、樵夫しているときの表情・・・・
教鞭を執っているときの表情・・・・
自宅に戻ったときの表情・・・・
他人に挨拶するときの表情・・・・・
七色十色の顔を持つが、人を引きつける笑顔は忘れず。
田中 記



5月14日~17日まで、山口市内のお寺において第5回山口参禅会がありました。
岡山から高速道を走り、2号線を走り、山道を走り、峠を越え、景色を眺め、他県への遠征は楽しい。参禅会に集う仲間たちは純粋。
参禅会は、各自役割を担い、食事作り・部屋掃除・草刈り・枝の剪定などなど動中の工夫三昧。静座は自己を忘れて公案の工夫三昧。座禅と付き合えば付き合うほど味がでます。
田中 記
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夢之丞ネパールへ行く

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山陽座禅会 2015/5/8 20:54

 たぶん今、夢之丞(ゆめのすけ)は、広島で一番有名なワンコである。

 広島県神石高原町にある、世界各地の紛争地域や被災地で人道支援をしているNPO法人、ピース・ウィンズ・ジャパン(PWJ)の災害救助犬である。

 殺処分寸前の捨て犬から災害救助犬になった。
 人によって捨てられた命が、災害に苦しむ人たちの命を救うべく活動している。
 広島土砂災害でも活躍し、現在は地震で大きな被害を受けたネパールで活動している。

 2010年11月、夢之丞は広島県動物愛護センターにいた。
 殺処分される予定だった日、処分数が多くて後に回されたことで助かったのだ。
 救助犬候補を探しに愛護センターを訪れていたPWJのスタッフが夢之丞を見つけ、引き取ったのだそうである。

 「人によって捨てられた犬が人の命を救う」という目標の下、専門のドッグトレーナーが捜索や救助の訓練をしてきた。

 引き取られた時、夢之丞は生後4ヵ月だった。
 人への警戒感が強く、救助犬向きとは言えなかったのだそうである。
 人を捜すのに必要な好奇心が持続せず、臆病だったという夢之丞。

 災害救助犬の役割は、地震などの災害時にいち早く現場に駆けつけ、がれきや土砂の中から一人でも多くの命を見つけ出すことが要求される。

 そこでまずは人に慣れさせ、「待て」「座れ」などの基本動作を覚えさせた。
 人の指示に従う訓練や、がれきの中を歩く練習などを繰り返したそうである。

 夢之丞の初陣は、昨年8月の広島土砂災害の現場だった。
 仲間のハルクとともに土砂が流れ込んだ民家を捜索し、行方不明になっていた人たちの遺体を発見した。

 現在、ネパールで起きた地震の被災者救援と支援のため、PWJの緊急支援チーム6人と、仲間の災害救助犬ハルクとともに、首都カトマンズで活動している。
 チームは倒壊した建物の周辺などで捜索活動を始め、水や食料などの支援物資の調達にもあたっているそうである。

 広島に続いて昨年末には台風被害を受けたフィリピンへ派遣され、今回のネパールで3度目の出動である。

 PWJの広報担当・大成絢子さんは「ネパールでも犬とスタッフの安全を第一に考えながら、一人でも多くの命を救えれば」と話しているそうだ。

 たとえ思っていても、決してなかなか簡単に出来ることなどではない。

 貴重な尊い方々である。


 広島禅会 小畠 光禅 識





数息観を忘れず

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山陽座禅会 2015/4/14 22:52

数息観は道場以外の地で、どこにいても「一息・二息」・・・・実践していく。うまくやろうとか、色気をださずに、「一から一息・二息と、雑念が湧けば再び一に戻り、一から出直し・・・
今朝の数息観は鳥取県大山の麓に建つ宿舎で実践している。義琛 記




4月11日、岡山道場にて高知より竜穏庵老師をお招きし、坐禅会の中で法話をしていただきました。今回の題材は「数息観」について。数息観とは座禅を組んで静かに自分の息を数える修養の方法です。老師からは何十年にも渡る数息観の実践から、その難しさ、味わい深さをいつもの柔和な口調でお話いただきました。今後も1から2ヶ月に1回ぐらいのペースで老師にご来岡いただき、いろんなお話をしていただく予定です。随時、ホームページの方でも告知してまいりますので、ご関心持たれた方は、お気軽にお問い合わせください。

                                                大船

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ナイトスタンド・ブディスト

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山陽座禅会 2015/4/11 2:13
 仕事を終えて帰宅し、入浴や夕食を済ませて一息ついたら、書斎や寝室、自分の部屋などで、ひとり静かにナイトスタンドの小さな光を灯して、テレビやパソコン、スマホなど、一切全く何もしないで、自らを見つめてただ瞑想する。

 こんな人々をアメリカでは「夜の電気スタンド仏教徒」と、ユーモアを交えて呼んでいるのだそうです。

 そして既にこんなナイトスタンド・ブディストが、アメリカには300万人いるとの事です。

 これはもうアメリカの仏教徒が、ユダヤ教を抜いて、キリスト教に次ぐ第ニの宗教になったと云う事を意味するそうです。
 
 これはある意味、現代の世界的な在家仏教の新しいスタイルなのかもしれません。

 我が国でも是非、皆んなで、Night-stand Buddhistsを『数息観』で実践しませんか!

 もっとも私自身は、朝の方が性に合っている様な気がしますが、きっと習慣の問題でしょうね。(笑)

 広島禅会 小畠 光禅
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若い君たちへ(学生諸君)

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山陽座禅会 2015/4/8 21:29
無私の精神              人間禅名誉会員 武田修一
 
 物騒な御時世である。全く何事が起きるか分からない。今朝も
チュニジアでテロの為、日本人三名死亡、三名が怪我をすると云う
臨時ニュースが流れた。事の是非を問うているのではない。又、その
責任を所謂アベノミクスの成否にする積りもない。只、1945年の
第二次世界大戦終結から数えて70年。その間1989年の冷戦終結、
ソ連解体迄を第三次大戦とでも呼べば。以降の、テロや民族紛争の
頻発と金融資本主義の暴走とか、寧ろ、今日が第四次大戦中と云って
差支えない状況である云えなくもない。そう考える方が分かり易いと
云はれれば、改めて、これからのグローバル化した世界に出て行かねば
ならない若い学生諸君と一緒に考え抜いておかねばならない問題は
山積みしているのである。
              ☆
 昭和三十五年(1960年)一月三日の読売新聞に掲載された
小林秀夫氏の短い随想を、忘れることが出来ない。
 彼の知人である有能な実業家の話であるが、非常に無口な人で進んで
意見を述べることはない典型的な実業家である。このひとには二つの
口癖があり、「御尤も」と「ご覧の通り」である。他人の主張に対しては
決して反対せず、全部聞き終えると「御尤も」と云い、自分の事となると
一切弁解をせず「ご覧の通り」と云った。この言葉には何とも云えぬ
愛嬌があり、この人にとってはこの二言さえあれば人を説得するのに
充分であったと云う。
 実は、作家の井上靖氏が、終戦後の大阪商工会議所会頭であった
杉道助氏の話を書いておられ、大事な客を接待するに当たって、自宅の
五右衛門風呂に案内し、風呂を焚きながら、世間話をされることを、
唯一の道楽として居られたということだが、私は、小林秀夫氏の書かれた
前記の実業家は、杉会頭に違いないと、勝手に決めている。
 今一人挙げれば、我が岡山県出身の元経団連会長土光敏夫氏である。
牛尾治朗氏から伺ったが、土光さんは高齢にもかかわらず、中曽根臨調の
会長を受け、若いころの牛尾氏をサブと
された。「臨調のメシはそこら辺の
安い弁当なのだが、ある時、体調が悪くてそれを半分も残したら、
「もったいない」「持って帰って夕食の足しにしたら。」後にも先にも
土光さんに叱られたのは一回きりだったが。・・・「凄い人だよ、黙って
自分の横に座って下さっておられるだけで、物事がどんどん片付いて了う。
あんな人は、もう出ないんだろうね。」
 まるで懐かしい大切な初恋のひとのことを語っていられる様子であった。
              ☆
 無私」とは自己犠牲ではない。寧ろ鈴木大拙の「無心」に近い感じが
あるが、物事を成し遂げる人間の生来備え置くべき「資質」のような
ものと云えるのではないか。
 実はこの原稿をかくので、何十年ぶりに小林 大先生の全集を読み返したが、
流石である。私などがあれこれ手を加えることはできない。勿体ないので、
そのまま原文を引用させて戴く。
 「実業家として成功するひとは、自己を押し通す人、強く自己を主張する人
と 観られ勝ちだが、実は、反対に彼には一種の無私がある。空想は孤独でも
出来るが、実業は社会的なものである。有能な実業家はいつも自己主張より
物の動きの方を尊重しているものだ。現実の新しい動きが看破されれば直ちに
古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たに
するとは一種の無私である。」
 「現代文化一般に互る議論や批評が、ジャーナリズムの上に氾濫している。」
・・・中略・・・「どれを読まされても御尤もと云っておけば充分な人々、
意見を聞かれれば「ご覧おとり」と答えて、文化を産んでいる人々、そう云う
人々はジャーナリズムには無関係に存している事は確実のようにおもわれる。」
              ☆
 危機でない時代はありません。日本国の明日を信じ、世界に先駆けて,時代の
困難を克服する用意が大事なのです。「実行するには、たった一つの事を
選んで取り上げねばならない。そう云う悩みで精神が緊張していないような
実業家には、興味が持てない。子供の無邪気とは、自ら異なるからである。」
(同前)
 反知性主義と云われる様な国益の衝突や、ニュー・ノーマルと称せられる
政治経済社会の環境変化などを考える時、既に半世紀も前に書かれたこの方の
文章の新鮮さには驚かされた。
確かに、アズナンバーワンと云われた時代の日本の奇跡的な復興・成長を支えた
のは、しなやかで強靭な此の精神であったことを、自信を以って断言して置きたい。
 
                    (平成二十七年三月十九日)

桜のスクリーン

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山陽座禅会 2015/4/1 20:43






 今日は4月1日。年度変わりの初めの1日でもあり、新しいシーズンにあたっての慌しさ、緊張感、期待感などなど、特別さまざまな感情に世間がおおわれる日ではなかろうか。そんな人のつかみどころのない感情に寄り添うように道沿いの至る所に桜が花を咲かせている。
 岡山道場の側にも大きな桜の木があり、道場の窓のカーテンを開けるとまるでスクリーンに映し出されたようにその姿を表す。それを傍らに坐禅をすると気のせいか年度はじめの慌しい感情が少しおとなしくなった。
 


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お釈迦さま誕生

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山陽座禅会 2015/3/27 14:56
「禅の話」   No.10                                  平成27年4月分
                     石田妙耕老禅子
 
〇天上天下(テンジョウテンゲ) 唯我独尊(ユイガドクソン)
 四月八日は お釈迦様の誕生日で禅寺では 花祭りといって、
 花御堂の中に誕生仏を入れて甘茶をかける行事があります。
 誕生仏とは一指(イッシ)は天を指し、一指は地を指している
 小さな仏像で、お釈迦様を表しています。
 そして之は「天上天下唯我独尊」を意味しています。宇宙に
 存在するものは、すべて「個々円成」(ココエンジョウ)で
 一つ一つ瓦礫に至るまで、欠けることなく仏性(ブッショウ)を
 そなえているということで独立独歩であります。唯我独尊というのは
 自分だけが尊いというのではありません。すべてかけがいのない
 平等な存在であります。自己の中の尊厳なる仏性を知ろうとすれば、
 達磨大師の仰しゃるように見性成仏(ケンショウジョウブツ)で
 見性して頂く外はありません。
 
〇「3だけ」
 (今だけ、金だけ、自分だけ)というそうです。
 ラジオの話ですが「3だけ」では先は自滅しかない。
 今だけ良ければよろしい。金だけあればよろしい。自分だけよければ
 よろしいということでは 将来はありません。常に変動している
 社会にあって、皆んな幸せになれる政策であってほしいものです。
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「座禅」のうわさ話(その3)

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山陽座禅会 2015/3/22 14:53
丸川春潭です。

前回の「座禅」のうわさ話(その2)で少し頭出しをしました「座禅」についての説明を、「座」と「禅」の二つに強いて分けて説明してみたいと思います。

我々の人間形成の禅には、二つの車があり、まさに両輪に依って人間形成は進んでいきます。

一つが「座」の車であり、一つが「禅」の車です。

そして人間禅は、臨済宗の法系ですので、座禅の「座」と云いますと、数息観法を行うと云うことになります。(曹洞宗系では数息観法を行うところもあるようですが、大部分は数息をせずただ雑念を切ってゆく只管打座のようです。)

数息観法は、仏教が開かれる前からあった東洋的観法であって、仏教や禅の固有のものではありません。

オーストリアなどのカソリックの神父さんが本当の祈りに近づくためにという目的で、数息観法を長年実践されておられますが、まさに宗派を超えている「こころ」を磨く観法です。

しかし、座禅を組むとかいう言葉にしても、数息観と座禅という言葉の結びつきから、数息観は禅の前段であって、やはり宗派性がないとはいえないという感覚で、今でも多くの人に受け止められ続けていることも事実であります。

そこで座禅の座と禅を切り離して、「座のすすめ」と「禅のすすめ」に分離し、それぞれを明確に特徴づけながら、メリハリを付けて発信して行くことが必要であると考え、その分離し整理したらどういうことになるかということです。

「禅」から切り離なされた「数息観の座のすすめ」は、本来的に、それだけで独立しており、そして完結した行として評価できます。

したがって大学のサークル活動、公教育に於けるこころの教育、公民館のような公的機関では、禅を抜いた数息観法を「座のすすめ」だけで終始して、充分な効果を得ることができます。

相対樹・絶対樹の絵(下図参照)における、絶対樹の幹の部分(諸武道、諸技芸道、諸宗教各派に分かれる前の幹の部分)を充実させることが、人間形成のための「座のすすめ」の主たる目的になります。
 


諸武道、諸技芸道、諸宗教各派には、それぞれ独自の個別の集中力・三昧力を養成する方法を必ず持っていますが、普遍的でどういう思想信条を持っている人にも採用できて、しかも効果がある洗練された方法が、数息観法の座であります。

数息観の座だけでは禅の悟りを得て道眼を開く(転迷開悟)ことはできませんが、人間形成の基盤である人間力(道力)を付けることができます。

すなわち禅と切り離した数息観の座だけでも人間形成はかなりのところまで進められます。
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