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居士とは非出家者、つまり在家の者のことをいいます。
在家ですから、実社会にあってはそれぞれの職業を持っています。もちろん学生や、主婦の方も含まれます。出家者である専門の雲水修行者が、僧堂において雲水の立場から修行を行っているのに比べ、居士禅では、在家の人達が主体であるために、正式に僧籍を持つ者以上に社会に密着した姿で修行を行うことになります。 居士禅では、実社会の中にあってなおかつ純粋に自己確立を目指すことが求められ、それによって自分に安心を与えるとともに、修行によって悟り得た徳力を各自の領域、職域において自然に発露していくことで社会に貢献することが目標とされます。
[ 素朴な質問 ]
回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (557 回閲覧)
この名前は道号と言って、仏道を修行する上での名前のことです。
人間禅では、入門したものが最初の公案を透った(とおった 合格の意味)時に、老師によって道号を授与する慣わしとなっています。 これを初関(しょかん)を透過(とうか)したと言い、見性したと言います。
[ 素朴な質問 ]
回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (596 回閲覧)
いい質問です(笑)。
人間禅は宗教法人法にもとづき、登録されているので法律的に宗教団体です。 しかし、やっていることは坐禅や茶道、剣道等、日本古来の道の修行が中心なので、一般常識的に言うところの宗教とはかなり違っています。 人間禅の禅は仏教には違いないのですが、神仏におすがりしたり、信仰したり、拝めばご利益があるような教えはありません。「立教の主旨」には、「我が教団は神秘を語らず迷信を説かず」とあるぐらいです(信仰を迷信と決めつけているわけではありませんので誤解なきよう)。 禅の法系は臨済宗 円覚寺派から引き継いでおりますが、会員制の道場であって、臨済宗の傘下にあるお寺ではありませんし、お坊さんがいるわけでも、お墓があるわけでもありません。 究極的には禅は宗教ではないと言われる方もいらっしゃいますが、こう言うと禅宗とは何か? そもそも宗教とは何か? 仏教は宗教なのか?そうではないのか? という大きな問題になってくるので、そこまで行くと簡単には答えられないものがあります。 言えることは禅を通して、仏教を学び、修行するのですが、その目的は人間形成の正しい道を歩むことです。 他力本願の宗教とはそこが大きく違うところです。 (おまけ)ここに入ると、お葬式とか人間禅でしないといけないのですか?という質問がありました。 お寺ではないのでお葬式はやっていません(会員が亡くなられた後の法要や、仏式の結婚式はあります)。
[ 素朴な質問 ]
回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (608 回閲覧)
まず出家した修行僧が修行するお寺との大きな違いは、人間禅が在家専門の禅道場であるということです。
一般の社会人や主婦、定年退職された方、学生さん等、普通の人(笑)が、本格的な禅の参禅の修業をしているのです。 出家した修行僧はプロのお坊さんとなり、お寺の住職になったりしますが、人間禅にはお寺はないので最後まで、その職業のまま一般の方です(笑)。 またお寺でも一般の人を集めて坐禅会をしているところは多いのですが、坐禅をやって法話を聞いて、お茶を飲んでそれで終わりとなります。一般の人が参禅修行(独参のこと)までできるところはほとんどありません(一部、一般の人でも参禅できるお寺があります)。 坐禅するだけでも身体が健康になったり、ストレスが解消したりといった効果があるので、そこまでのレベルで良い方はお寺の坐禅会でもかまいませんし、人間禅でも毎週やっている坐禅会(静坐会)に出てこられるだけの方は多いのです。 しかし、道を求めて、より本格的な禅の修業を志した時、人間禅にはその道が用意されています。 お寺の摂心会(せっしんえ)は一週間泊り込みでよほどのことがない限り出入り禁止になりますが(これも例外のお寺はあると思います)、人間禅の摂心会は仕事に行くことが認められている(托鉢しに行くと考える)等、一般の人に修行を続けられるシステムを持っていることが大きな違いだと言えるでしょう。 とは言え道場に皆とつめて泊り込む方が充実した摂心会になることは言うまでもありません。
[ 素朴な質問 ]
回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (591 回閲覧)
はい、一般の方も参加することができます。
もし老師に参禅する意思があれば、参禅願いを提出して参禅することもできます。 摂心会(せっしんえ)は人間禅の会員が、道場に泊り込んで禅の修業を行いますが、一般の方にも、どんな修行をしているのかを体験して頂くいい機会です。 仕事を持っている方は、朝は道場で起きて、参禅をし、行ってきまーすと仕事に行き、夜、ただいまーと道場に帰ってきて参禅をするという感じです。 一般の方の中にも泊り込んで修行される方もいらっしゃいます。
[ 素朴な質問 ]
回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (579 回閲覧)
曹洞宗では参禅と言うと、坐禅しに行くことを意味しますが、臨済宗においては参禅とは老師と1対1で禅問答を行うこと修行のことを指します。また独参ということもあります。
人間禅は臨済宗系なので、参禅修行は老師と1対1で禅問答を行います。 摂心会(せっしんえ)や、禅フロンティアで参禅が行われますが、鐘をカーン、カーンと鳴らして修行者が廊下をダダッと走っていくのは老師に参禅をしているのです。 会員になっていない一般の方も「参禅願い」を提出して参禅を願い出ることができます。 参禅願いを提出した全員が老師に呼ばれて面談を行います。 その際、人間禅の歴史や禅の修業はどういうものかが説明され、最初の公案(これを初関(しょかん)と言う)が授けられます。 ここまでは参禅願いを出した全員ですが、ここから先は老師と1対1で指導を受けることになります。 参禅の作法を教えてもらってからは、一人で老師の待つ室内へ走っていきます。 ここで公案の見解(けんげ 答えのようなもの)を提して、老師に指導をあおぐわけですが、その際のやりとりや受けた指導は一切、秘密にすることになっております。 後に続く修行者の妨げになると考えられているからで、これ以上は書くことができません。
[ 素朴な質問 ]
回答者: ゲスト 掲載日時: 17-May-2012 15:47 (557 回閲覧)
公案とは公文書の意であるが、禅ではいわゆる禅問答とも呼ばれる修行に使われる問題のようなものである。人間として誰にも共通な人生の根本問題。また、その問題に対する仏祖の真正の見解。絶対の真理そのものの境涯に到達する為に使うものです。
古来より1700以上あると言われていますがが、人間禅では、肝要な公案200則が集められ順序立てられて公開されています。 老師に参禅願いを提出して、参禅修行が始まると、最初の公案(これを初関(しょかん)と言う)を授かります。 ここで公案の見解(けんげ 答えのようなもの)を提して、老師に指導をあおぐわけですが、その際のやりとりや受けた指導は一切秘密にすることに注意してください。 後に続く修行者の妨げになると考えられているからで、これ以上は書くことができません。 初関(しょかん)を透過(とうか)すると、見性した印として、老師から道号を授かる慣わしです。 |